クラブの後藤さんから・・・『不忘山は雪の中に』

 昨日、クラブの後藤さんからお手紙をいただきました。
 どうしたのかな~と封を開けてみると、クラブ創立90周年記念誌に文章を出したけど載せてもらえなかったから、載せてもらいたかった文を送るから記念誌に挟んでおいてくださいという内容でした。
 私は記念誌発行の委員ではありませんでしたが、実行委員会委員として大変申し訳ないことをしたと思います。すみませんでした。

 だからということではないですが、この場で少し紹介させてもらいたいと思います。
【後藤さんからの手紙です】 

(写真の左端のちょっと低い平らな山が不忘山)
『不忘山は雪の中に』と題された文には、福島不忘スキークラブの名の由来や歴史について詳しく書いてあります。

 名の由来は、故羽田善一さんの文に「不忘の名は板谷から南に見える尾根の広い山(五色の賽の河原)」と紹介されていますと書いてあり、後藤さん自身も栗子スキー場から眺めであのあたりかなと考えていて、3年ほど前に撮った写真を眺めて不忘山を探したそうです。クラブ員に聞いてもよくわからず、古い地図に「賽の河原」を見つけ、五色温泉に電話をして宗川さんに、元五色スキー場の上が『不忘山』といい、その後ろが『賽の河原』といい、昔はそこに地蔵尊があって温泉客がお参りに行っていたということを聞いたそうです。そして後藤さんは、元五色スキー場のゲレンデの上の頂上、標高1077mの山が『不忘山』だと確信したそうです。

 その他に書いてあって興味をひかれたのは
 (後藤さん文章から)
 五色スキー場は明治44年にオープンし、大正12年に西洋風の『六華クラブハウス』が造られ、多くの宮さまなどが訪れ、第1回指導員検定会が五色スキー場で開かれ、クラブ員だった故羽田善一に合格しました。また、昭和25年国体の滑降コースとして、五色から眺めて不忘山の右側上部にある高倉山(標高1461m)から五色までの4キロ、標高差800mコースが作られ、長野県の猪谷千春選手(第7回冬季オリンピック回転銀メダル)が優勝したそうです。当時の五色スキー場はとても賑わっていたように見えますが、時代の流れの中で平成10年に閉鎖されました。
 
 私もホームページを立ち上げる時、そして先日のスキーグラフィックの取材の時と改めて、クラブの歴史を調べなおして、吾妻連峰東側に賽の河原というところがあること、その辺りが不忘山なのかなと思いながら、改めてクラブの歴史の深さを痛感していたところですが、後藤さんのお手紙の中でさらにその気持ちが深くなりました。ありがとうございました。

 うちのクラブは野沢温泉スキークラブの次に歴史のあるクラブで創立が1923年で90周年を迎えること、レルヒ少佐が新潟県高田で軍隊にスキー指導をしていたことと同時期に、オーストリアのウィンクラー氏などが、五色温泉でスキーを広め、不忘スキークラブの前身となるスキーヤーの方々が育ったこと、五色スキー場は宮様も来られるくらいその当時賑わっていたこと、第1回の指導員検定会が開かれ、その第1回で見事、クラブ員が合格していること、うちのクラブは歴史がある、過去にすごい方々を輩出しているなどとよく聞きますが、ほんとにスキーの創生期からその中心にいたんだな、はやりというか最先端を走っていたんだなと改めて感じることができました。

 私もブロック技術員としてクラブ員として福島不忘の名に恥じないように頑張りたいなと思います。
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プロフィール

福島不忘SCHP管理者

Author:福島不忘SCHP管理者
性  別:男性
生 ま れ:1976年
血 液 型:B型
住 ま い:福島県伊達市
資  格:指導員・A級公認検定員
主な活動:県連・クラブ事業
趣  味:登山
好きなスポーツ:野球・スキー
特  技:霊山太鼓

Kiyotaka Kitsunai

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